木村英輝プロフィール

 京都北山のライブハウス「MOJOWEST」の躍動感にあふれた迫力あるパンサーの壁画。また、鴨川沿いのレストラン「ザ・リバー・オリエンタル」の「幸せのカエル」「笑う象」の壁画。北山ル・アンジェ教会、レストラン「ヴィトラ」の「飛ぶカメ」の壁画。いずれも、ダイナミックでパワフルな独特の世界が注目を浴びる木村英輝さんの作品だ。その木村さんが、今までとはまったく違った、寺院のふすま絵というジャンルに挑戦した。
 木村英輝さんは、1942年大阪府生まれ。京都の堀川高校から京都市立芸術大学図案科に進み、卒業後はそのまま講師として残った。時に1960年代後半、70年安保の前夜で大学は荒れ、学生たちはデモやストライキに明け暮れていた。いわゆる全共闘時代である。当時の教え子たちも、時代の空気に浮き足立っていた。
 その中には、日産Be―1などをヒットさせたコンセプター坂井直樹や、三宅一生のテキスタイルデザイナーとして活躍の皆川魔鬼子、無所属の洋画家で京都芸大教授の鶴田憲次などもいた。
 「美術系の学生が右や左や言うてどうするんや、俺らは文化的な革命をしようやないか!」。そんな思いで彼らとともに企画したのが、京都会館で行われた日本初のロックフェスティバル「TOO MUCH(ツーマッチ)」である。このコンサートの成功が、当時、日本でロックフェスティバルのわかるただ一人の男という海外での評価につながり、木村さんはいつの間にか、美大講師から日本初のロックプロデューサーになってしまう。
木村英輝-28歳の頃
1971年 28歳の頃の木村さん
 「かっこええヤツが集まらなあかん」。その後は、日比谷野外音楽堂で内田裕也などのロックコンサートや、京大西部講堂でのロックイベント「モジョ・ウエスト」で、伝説的なバンド「村八分」、今は亡きロック界の超大物フランク・ザッパのコンサートをプロデュース。また、円山野外音楽堂で、ギタリスト、ジェフ・ベックらを招聘したワールドロックフェスティバルも手がけた。
 70年代後半から80年代は、広告やポスターのデザインも含めたコンセプチュアルデザイナー、また、さまざまなイベントの「仕掛人」として活躍する。自分が仕掛けた企画に人々がまんまと乗っていくのがおもしろく、してやったりと高度成長時代を突っ走ってきたという。「ところが、60歳を目前にして、それまでの自分の仕事が空虚で実体がないと思うようになった」。
木村英輝-ふすま絵を前にして  「絵だけは好きやったな。五歳の頃、家の前の道にロウ石で絵を描くんや。近所のおっちゃんらがあれ描いてみとリクエストする。それに応じてすぐ描く。そのうち、でき上がるまで何を描いているかわからんような描き方をして、みんなをびっくりさせた」。「俺は天才やと思とった。絵の世界の美空ひばりやと思てたんや」と笑いながら語る。そんな「絵」に対する思い、もう一度描きたいという気持ちが、あと数年で60歳というときに「むくむくと湧いてきた」のだという。
 35年ぶりにとった絵筆は自分の思い通りにはなかなか動いてくれなかったが、逆にテクニックに逃げるのではなく、本質を見極める力になった。自分に正直に、自分がいま描けるものを描けばよいのだ。努力の跡が見える作品なんてかっこわるい。「大きく、動きのあるリズミカルな絵」が「速く」描けるのが天才、「落書きと刺青になる絵は描かない」という木村流絵画哲学で力強い作品を次々に生み出し、青蓮院のふすま絵という大作につながった。「かっこ良かったらえーやん、面白かったらえーやん」。キーやん(木村さんの通称)流の生き方は、どこまでもスタイリッシュだ。